15 パスツール


Louis Pasteur (1822-1895)


第15回サイファイ・カフェ SHE


日 時: 2022年10月5日(水)18:00  ~ 20:00

テーマ: パスツールのやったことを振り返る

講 師: 矢倉 英隆(サイファイ研究所ISHE)

会 場: 恵比寿カルフール B会議室


参加費: 一般 1,500円、学生 500円
(コーヒー/紅茶が付きます)


このカフェでは、科学の成果を哲学や歴史が交わるところから参加者と共に考えています。今年はルイ・パスツール(1822-1895)の生誕200年に当たります。パスツールは、分子の光学異性体の発見、生物の自然発生の否定、ワインやビールの腐敗とその防御法(pasteurization)の確立、さらに羊の炭疽病、鳥コレラ、狂犬病に対するワクチンの開発など、多方面にわたって実績を残しました。この機会に、パスツールの歩みについて、その思想的な面も含めて振り返り、現代に生きる我々に引きつけて考えたいと思います。
このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。




(2022年7月27日)



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会のまとめ






今年はルイ・パスツール(1822-1895)生誕200年に当たる。個人的にも、フランスに10年以上滞在し、パスツール研究所にはそのビブリオテークやミュゼを含め、非常にお世話になった。しかし、パスツール個人について詳しく知ろうという気には遂にならなかった。余りにも有名な存在なので、多くの人が調べ、語っているはずなのだが、あるいはそれ故に遠ざけていたのかもしれない。今回、サイファイ・カフェSHEで取り上げることにより、否応なく調べざるを得ない状況になると考えた次第である。そのため、殆どすべてが発見に満ちた準備となった。

パスツールの人生に影を落としているのは、自分の姉妹、3人の子供を失っていることと、ご自身も45歳と64歳の時に脳卒中により左半身不随になっていることである。その中での研究生活であったので、陰に陽に人間の病、生死が影響を与えていた可能性が考えられる。

パスツールの科学、医学への貢献としては、1)分子不斉(Molecular dissymmetry)、2)醗酵(Fermentation)、3)自然発生(Spontaneous generation)、4)疾病の病原菌説(Germ theory of disease)、5)低温殺菌法(Pasteurization)、6)ワクチン(Vaccines)、7)病原性(毒性)(Virulence)などが挙げられる。化学と物理学の2つの博士論文を書き、酒石酸塩とパラ酒石酸塩の研究により分子不斉の問題を解決し、立体化学という領域を確立した。この過程で、非対称性結晶は有機物、生物の産物にしか存在しないということ、つまり、これが生物と無生物を分ける指標になることに気付き、彼の興味が結晶から生命の問題に移っていった。このように、彼の研究生活における興味の対象は、一つの研究を始めた当初には想像できないような変容を遂げることになる。同時に、変容の先には常に巨大な壁が控えており、それを乗り越えて新しい学問領域を作っていくという歩みを繰り返した。




パスツールの時代の医学は、エドワード・ジェンナー(1749-1823)による種痘法は生まれていたが、症状や臓器の変化の記載と経験的治療法が主であった。ただ、肉眼による観察から顕微鏡の導入が行われ、視野の拡大が見られた。当時、絶大な影響力を持っていたのが、ルドルフ・フィルヒョウ(1821-1902)の 「細胞病理学説」であった。この学説は、「あらゆる病気は、多数または少数の生命の要素である細胞の受動的あるいは能動的障害による。すなわち、細胞内容の物理・化学的変化に従う分子構成によって、その活動能力が変わってきた細胞に帰する」とするものである。生命現象の基礎に細胞を置く細胞説は、20世紀のDNAパラダイム以上に影響力があったとする研究者もいる。

19世紀中頃にあったクリミア戦争(1853-1856)の時代には、伝染病の伝播は悪臭ガス、すなわち腐敗によるとする瘴気説(miasma theory) が唱えられていた。そのため、腐敗や醗酵の本体を明らかにすることが、伝染病の解明にも繋がると考えられていた。ドイツの有力な化学者ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803-1873)は、醗酵に必要なものは酵母ではなく、分解された細胞の死骸であると主張した。さらに、伝染病が下等生物によるという仮説にも反対し、「どんなに細心に調べてみても、天然痘、ペスト、梅毒、猩紅熱、麻疹、腸チフス、黄熱、炭疽および狂犬病などの伝染性を説明し得るような微生物や他の生物は発見されることはない」と言っている。この考え方は当時のフランスでも教義になっており、このような時代にパスツールが登場した。

1857年、パスツール35歳の時、乳糖の醗酵の種(微細な生物)に関する論文を発表。当時優勢だったリービッヒ説(酒精醗酵以外の醗酵に生物は関与しない)に果敢にも反論し、酵母のことをこう書いている。

「顕微鏡で見ると、その酵母は小球状あるいは非常に短い形のもので、ばらばらになったりかたまっていたりして、無定形の沈殿物に似た不規則な綿屑のようなものになっている」

そして、こう加えている。

「この論文を通じて私は新たに発見された酵母が有機体であり、一個の生物であって、糖におよぼす化学作用はその発育と有機的組織に相関しているという仮説を推定した。もしこの結論が事実を越えているとあえて言う人があるとすれば、私は、厳格に言えばまだ論議の余地のないほどには証明できていない、ある種の思想に、断固として身を投じたのであって、その考え方からするとこれが本当である、と答えるであろう」(以上、宮村定男訳)

醗酵、腐敗を微生物が起こすという発見から、パスツールの興味は醗酵素の起原に向かう。ブドウ汁や牛乳など、そのあたりにあるものが腐敗するということは、醗酵素が至るところにあるためなのか、あるいは有機体内で自然発生するためなのか、という疑問である。このようにパスツールは新たな変容を遂げ、自然発生の問題に入っていく。




自然発生説とは、アリストテレス(384 BC-322 BC)に由来する歴史の長い科学理論で、生物は親のような原因となる生物の関与なしに、無機物からも生成できるとする学説である。17世紀になっても、穢れたシャツに小麦粒を入れた壺の口を塞ぐと、シャツから発した醗酵素が麦粒の香りにより変性し、ほぼ3週間で小麦をネズミに変えるというようなことを言う、ブリュッセル出身の錬金術師で医者のヤン・ファン・ヘルモント(1580-1644)のような人物がいた。そこに異議を唱えたのは、イタリアの医者で、文献学者、詩人、ワインの収集家でもあったフランチェスコ・レディ(1626-1697)である。彼はウィットと寛容の精神、活力と繊細さを持ち合わせた人物であったという。一度お会いしてみたいものである。1688年、彼は次のような実験をしている。肉をフラスコに入れ、一つは蓋をしないで放置、他方にはガーゼを被せるという実験を行い、ウジが湧いたのは前者だったことを発見。そこから彼は、ウジが湧くのは自然発生によるのではなく、ハエが卵を産み落としたためであると結論したのである。ただ、顕微鏡の普及とともに微生物の自然発生が新たなテーマとなり、レディの実験では、それを論駁できていない。

18世紀に入っても、フランスの大博物学者ビュフォン(1707-1788)は親なしで生物が生まれると信じていた。彼は次のような想像力溢れる推論をして、独自の「有機分子説」を提唱した。

「生物体の物質は死後も活力の残渣を保持する。生命は、体の究極の分子の中に宿っている。・・・そして、有機体の活動が死によって停止されると、体の分解が続く。しかし、有機分子は残存し、体の解体と腐敗に際して解放され、他の活動によって取り込まれると別の生物体内に移行する。・・・ただ、有機分子が死体の物質内で解放されている合間には、自然発生が生起する。・・・有機分子は腐敗物質から原質粒子を獲得、その再結合により無数の有機体、例えば、ミミズやキノコ、あるいは顕微鏡的な微小なものなどを生成する」

18世紀、ピエール・ルイ・モーペルテュイ (1698-1759)、ビュフォンらと共に、イギリスの生物学者でカトリック司祭のジョン・ニーダム(1713–1781)も自然発生説を唱えていた。彼は、マトンのスープをフラスコに入れて加熱し、開放して冷却後数日してからスープを調べると微生物が発生していた。さらに、フラスコをシールしても同様であったことから微生物が自然発生したと主張した。しかしこの実験では、微生物(芽胞)を殺すに十分な加熱時間が加えられたのか、冷却時の微生物混入はなかったのか、あるいは滅菌作業が不適切だったのではないかなどの疑問が提出された。

そして1765年、イタリアの博物学者ラザロ・スパランツァーニ(1729-1799)は、より長い加熱時間の後にシールすると微生物の発生は見られなかったとして、自然発生を論駁したとする論文を発表。しかしニーダムは、そのような過酷な条件が物質の生命力を無力化したと反論し、最終決着はつけられなかった。そして1世紀後の1861年、パスツールは「大気中に存在する有機体性微粒子に関する論文.自然発生説の検討」と題する論文を発表し、自然発生説を最終的に葬った。

さすがにこの時代になると、昆虫、軟体動物、脊椎動物の自然発生を信じる者はいなかった。しかし、微生物の世界には自然発生の領分があると考える人はいた。ここで問われたのは、ただ一つ。それは、一つの実験が、芽胞を含む空気中の塵の混入をいかに防いでいるのかの一点であった。パスツールはソルボンヌの夜間科学講演会で、講堂内を暗くして空気中の塵を聴衆に見せ、実際に実験もして彼の主張の正しさを熱く語っている。彼が使った有名な実験系が、外部の塵が入らないように工夫された白鳥の首フラスコの実験であった。また、外気中の細菌が少ない海抜2,000mのシャモニーにあるメール・ド・グラス氷河に登り、同様の実験をして自説の正しさを証明している。科学者としての強い意志、執念のようなものを感じさせるエピソードである。





ここで、パスツールの最後の研究対象となった狂犬病ワクチンについてのエピソードを紹介したい。すでに狂犬病の病原体は脳脊髄を侵すことが知られていた。また、犬よりはウサギの方が扱いやすいとのことで、狂犬病に感染したウサギの脊髄を乾燥した容器に放置することにより弱毒化に成功。それをワクチンとしてすでに50匹ほどの犬でその効果を見ていた。1885年7月6日、アルザスにいた9歳のジョゼフ・マイステール(1876-1940)少年が狂犬に噛まれ、2日後母親と共にパリのパスツールのもとに運ばれる。パスツールはエミール・ルー(1853-1933)などの医学者の反対を押し切り、動物実験の段階だった狂犬病ワクチンを接種することにした。10日間接種後、経過を見たが発症しなかった。これが最初の狂犬病ワクチン接種となった。ただ、元の犬は狂犬病ではなかったのではないかというクレームがついたため、さらに病原性のある「ウイルス」(病毒因子の意)を注射してワクチンの有効性を示したとされる。現代の基準で判断することには抵抗はあるが、倫理的な問題はついてまわり、意見の分かれるところである。

なぜパスツールが彼のワクチン接種を強行したのかについては、いろいろな推論が成り立つ。まず、それ以外にマイステールの命を救う方法がなかったこと、第2に、自分の娘二人を感染症(腸チフス)で失っており、感染症から人類を守りたいという気持ちが人一倍強かったこと、そして第3に、アルボアの子供時代に狂犬病に罹った人を見ており、その治療は古代ローマのケルスス以来の咬まれた部分の焼灼で、悲惨な状態になることを見ていたことなどが考えられている。




最後に、アカデミー・フランセーズの受諾講演1882年4月27日)を読むことにより、パスツールの哲学あるいは内的世界について思いを馳せてみたい。彼はエミール・リトレ1801-1881)の座席番号17を引き継いだ。リトレは、ヒポクラテス(c.460 BC-c.370 BC)の全集を翻訳した医者であり、フランス語辞典を編纂した辞書編纂者であり、オーギュスト・コント(1798-1857)の実証主義を絶賛した哲学者であり、政治家でもあった。受諾演説ではまず、前任者のリトレの慈善の心に満ちた驚くべき人生を振り返り、コントの哲学によって回心して実証主義哲学の弟子になったとしている。しかしパスツールは、リトレの実証主義に関する判断に異議を唱える。その理由として、リトレとの研究の違いを挙げている。リトレの研究は歴史学、言語学、科学や文学についての博識に関するもので、すべては過去に属しており、観察するだけでよい。それに対して、自然を征服する実験者は、まだ明らかになっていない事実を明らかにしなければならない。科学の魅力は、我々が原理や発見を証明できることである。リトレとコントの過ちは、科学の方法と観察に限られた方法を混同したからである。また、コントの哲学には、科学に見られる発明の考えが含まれていないと批判している。

リトレは実証主義の前で、「『もの・こと』の起源や終焉、神、魂、神学、形而上学に関心を持つ必要はない、絶対から逃げ、相対だけを愛しなさい」 と言った。しかし、魂の永遠と同様、神の存在も否定しないが、科学的に証明できないので、アプリオリの思考を排除する。パスツールは、そのような高尚な先入見を人間の精神から引き離すことができるのかと自問する。それらが永遠の本質に見えるからである。そして、実証主義者をこのように批判する。

彼らの重大な欠陥は、世界の概念で最も重要な「無限」について考慮していないことである。「無限」という概念により、超自然がすべての心に宿り、神はその一形態となる。形而上学は、「無限」という概念を心の中で翻訳するだけである。人間の尊厳、自由、現代民主主義の真の源泉は、「無限」の概念の中になくてどこにあるのだろうか。

さらに、こう続ける。

ギリシア人は、物事の裏側の不思議な力を理解し、情熱(enthousiasme)という最も美しい言葉の1つを残してくれた。内なる神(Un Dieu intérieur)である。

インスピレーションは偉大な思考と行動の源泉で、無限の光で照らされている。自らの中に、芸術の理想、科学の理想、祖国の理想、福音の美徳の理想という神、美の理想を持ち、それに従う者は幸せである。
(上の写真のように、この言葉は博物館地下にあるパスツールの墓に刻まれている)

リトレには「内なる神」が在り、彼の魂を満たす理想は、仕事への情熱と人間愛であったと、賛辞を送って演説は終わっている。







参加者からのコメント


● お世話になっております。昨晩は、大変勉強になる会に参加させていただきありがとうございました。パスツールについて、まだまだ知らないことが多く、大いに知的好奇心を刺激されました。一緒に参加された他の皆さんも非常に熱心で、びっくりしました。


● 昨夜の第15回「サイファイカフェ」及び懇親会とても楽しく参加させていただきました。お礼申し上げます。また、早々のお取り纏め報告、ありがとうございました。パスツールの数々の業績、改めて学ばせていただきました。特に、アカデミ・フランセーズ受諾講演内容、興味深く、心に残っております。パスツールがとらえている「無限」の概念が数学的なものなのか認知的なものか、情熱やインスピレーションとのかかわりなども含め自問いたしております。

~すこしの科学は神を遠ざけるが、多くの科学は神に近づく。~
~微生物は何でもない。場がすべてである。~
~幸運は準備された心にのみ微笑む。~

私にとっては、とても難しい難問です。次回のテーマ、開催、楽しみにしております。どうか、今後とも、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。


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